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MOOCは、書籍の拡張したものであり、学校の拡張したものはこれから現れる

私はMOOCを受講しており、素晴らしい技術だと思っていた。最近、以下のようなMOOCに対する否定的な意見が出ていて、どう反論していいのか分からず、少し考えてみた。

オンライン講義のMOOCが大学に取って代わることができない理由

上記のブログで挙げているのは、MOOCの人気の高止まり感、モチベーションの欠如、収益化困難の3つの問題だ。確かにその3つの点は感情的には何となく同意する。しかし、これらの問題の根本原因については言及されておらず、洞察が浅いのではないかと思った。考えなおしてみると、実は前提条件が間違っているのではないかと感じ始めた。

MOOCは学校の拡張という思い込み

その前提条件とは、MOOCは教育あるいは学校の拡張ではないかという思い込みだ。ここで言う拡張とは、拡張現実(Augmented Reality)という言葉で使う時の拡張と同じ意味だ。ここではデジタル化という風に置き換えて読んでも構わない。話を元に戻そう。MOOCはオンライン教育と呼ばれるので、学校の拡張という思い込みは当然だと思う。実際、私自身もついさっきまでそう思い込んでいた。

MOOCは書籍の拡張概念

それでは、MOOCは何の拡張だろうか。教育に近い概念を思い浮かべてみる。学校でよく使われるものは何だろう。それは教科書だ。MOOCは教科書、つまり書籍の拡張だ。そう考えてみると何だかすっきりした。

読書家はMOOCを好む

MOOCを書籍の拡張と考えると色々な点で合点が行く。私は、Facebook上のCourseraジャパングループを通してMOOCで学ぶ人たちと交流がある。その人達の傾向は、読書好きであることだ。書籍を読むのが好きな人がMOOCを好きになるのは自然の流れではないかと思う。MOOCの集まりも何だか読書好きの人が集まって、あの本がいいだの、この本がいいだのという本の品評会のようになっている気がする。
私自身も読書好きで、MOOCにもハマっている。私は本を読むのも好きだが、最近本を読むよりもMOOCで学ぶ方が学びやすいのではないかと感じ始めた。読書からMOOCに移行しようかなと考え始めた所だった。漠然と本を読むよりもMOOCの方が演習などがあるので内容が身につくからだ。

読書と自学自習の習慣

先程のブログにも指摘があるようにMOOCの欠点に上げられるのがモチベーションの維持である。MOOCの終了率は10%以下であり、その低さが問題点となっている。
MOOC Completion Rates: The Data

本を読むのは意識的に読まないと続かないので、読書が好きな人は、元々自学自習の習慣があるのではないかと思う。読書を続けるノウハウとMOOCを続けるノウハウは通ずる所があるのである。

本を読んでも評価されない

一般に本を幾ら読んでも評価はされない。本を読む場合は、二つある。興味から読む場合と何らの必要性から読む場合がある。後者の場合は読んだことによって仕事や試験に役立つというメリットがあるのが分かった上で読む場合だ。本を読んだだけでは、人の評価を受けることは難しい。褒められるのは小学生のレベルだろう。MOOCが社会的評価で迷走しているように見えるのはこの辺の問題と関連性があるのではないかと思われる。

MOOCは書籍の拡張であるが、デジタル書籍は書籍の拡張ではない

一般に書籍とデジタル書籍が比較され、デジタル書籍が紙の書籍を食いつぶすなどの報道が行われる。しかし、実はデジタル書籍は書籍の拡張でもなく、書籍の子孫でもない。MOOCは書籍を拡張したものなので、書籍にない特徴を色々と備えている。
(1)映像で何度も見ることができる。
(2)ディスカッションルームで質問をしたり、意見を言ったり、他の人の質問に答えることができる。
(3)テストを受けて実力を測ることができる。
(4)演習があるので、実践力を鍛えることができる。
(5)他の学生が自分の評価をしてくれる(ピアレビュー)
これはどれも紙の書籍では行なうことはできない。デジタル書籍もこの全ての機能を持っているものはない。MOOCこそ書籍の正しい後継者なのだ。CourseraやedXで修了証明書の値段が数10ドル(数千円)となっているが、専門書の値段が数千円であることを考えると妥当な値段であると思う。最近では、きちんとした学術的内容のPDFが無料で出回っていることもあり、それを考えると、紙の書籍の内容をただ移しただけのデジタル書籍の値段が紙の書籍とほぼ同じ値段なのは、消費者を馬鹿にしている詐欺行為ではないかと思えてくる。日本でデジタル書籍が普及しにくいのもそんなところに原因があるのかも知れない。

書籍が沢山あっても学校にはならないが、それは革命の始まりではある

書籍が沢山あっても学校にならない。せいぜい、図書館になるだけである。MOOCのコースが沢山あっても学校の拡張にはならないのである。勿論、学校にとって教科書が重要なアイテムであるのと同じく、未来の学校にはMOOCのコースが重要なアイテムとなるであろう。書籍がルネサンスを起こし、産業革命を誘発した。それと同じく、MOOCは偉大な知識革命の始まりの一つなのである。未来の学校にとっては、MOOCだけではなく、人的資源の管理や自学自習の訓練等の他の仕組みが必要となるに違いない。つまり、MOOCを含めた教育改革はまだ始まったばかりでこの先にまだ長い道のりが存在しているのだ。我々はMOOCを元に本当の学校の拡張概念を創り上げる必要がある。だから早まってMOOCは期待はずれ等という言説に惑わされてはいけないのだと思う。

去年読んでインパクトを受けた本

去年読んでインパクトを受けた本。

1. 機械との競争 エリク・ブリニョルフソン

2.年収は「住むところ」で決まる ─ 雇用とイノベーションの都市経済学 エンリコ モレッティ

1.も2.も労働に関する未来予測の本だ。両書とも、人工知能やロボットの発達により数十年後にはホワイトカラーやブルーカラーの仕事はことごとくなくなると予測している。テクノロジのーの進歩により人間にしかできない仕事のみが残る。人間にしか出来ない創造的な仕事か、あるいは人間を相手にするサービス業や介護士等のロボットが対応できない仕事のみが残る。
私はこれらの本を読んで、これからの社会に不安を感じている。しかし、周りを見回すと相変わらず、過去の価値観で動いていて、その未来への大変化に気づかない様子で、社会は動いている。
未来の社会に適応するには、子供の時から創造的な教育をする必要があると思うが、従来の学校教育や企業ではそのような準備ができていないように思う。まずは個人で少しづつ進めていくしか方法はないのではないかと思う。

3. ずっとやりたかったことを、やりなさい。(2) ジュリア キャメロン

これも生き方に関する本だが、なぜか何度も読んでしまった。簡単に言うと歩くことや書くことで創造的に生きていこうと言う内容だ。私自身、創造的というものがどういうものかわからないので、これを読んで少しだけ創造性というものが分かったような気がする。私なりの解釈では、創造性とは椅子に座って創りだすものではなく、何か行動を起こすことの結果として発生するのではないかと思う。

こうして見ると私の興味の範囲は、働くこと、生きること、社会の変化、創造性だ。今年もこれらのことを追求していきたいと思う。

フィンランドの幼児教育の重要点は、幼児の個性を尊重することと独自性を発達するチャンスを与えること

ヨーロッパの教育が凄いとか、よく言われていて、知り合いのフランス人に教育制度の話を聞いたりしたが、いまいちピンと来なかった。だが、最近、たまたまフィンランドの教育制度について調べることがあったので、ウィキペディアで調べたところ、ある一文に驚いたので、ウィキペディアの文を翻訳して紹介する。

フィンランドの幼児教育で重点を置いているのは、各々の幼児の個性を尊重することと各々の幼児が独自の人間として発達するチャンスを持たせることだ。フィンランドの幼児教育者は幼児が社会的・相互作用的スキルを発達させるようにガイドする。幼児に対し、他の幼児のして欲しいことや興味に注意を向けさせ、他人を世話するように促し、他人自身や他人の文化や異なる環境に対しポジティブな態度を取るように励ますのだ。独立性が高まるようなチャンスを次第に増やしていく真の目的は、全ての幼児が大人に成長していくということを認識しながら自分自身を大事にできるようにすることだ。つまり、大人になるという事は、責任ある決断を行う能力を持つこと、社会において活動的な市民として生産的な形で参加すること、自分の助けを必要としている他者に大事にすることだ。
Anneli Niikko, “Finnish Daycare: Caring, Education and Instruction”, in Nordic Childhoods and Early Education: Philosophy, Research, Policy and Practice in Denmark, Finland, Iceland, Norway, and Sweden, Series: International Perspectives on Educational Policy, Research (Information Age Publishing Inc., 2006), 141

これほど明確な表現はないだろう。日本の教育関連の言説や学校での経験を鑑みても、これほどきちんと考えている人はいないのではなかろうか。そもそも、このフィンランドの幼児教育の指針は大人の我々にも適応されるような哲学的な深い洞察が含まれている。

統計学・データサイエンスの勉強法

ここ数年、私はデータサイエンスについて学んでいます。おすすめの学習資料を紹介したいと思います。

教師用の教科書と初心者用の教科書

私自身、データサイエンスを学ぼうとして色々なソースを試してみました。残念なことに、日本語の良い学習資料は見つけられませんでした。どこかのブログで読んだことがありますが、教科書は教師用と学生用の二週類があるそうです。一つめは内容が既に分かっている教師の為の教科書で、日本はこのタイプです。もう一つのタイプの教科書は自学自習を目的に作られているので、教師なしで学ぶできる教科書になっているということで、アメリカはこのタイプの教科書が多いです。私自身、他の文系・理系の教科書を探した時もアメリカの教科書の方が分かりやすく、その本だけを読めば分かるようになっていると同じ印象を持ちました。

オンライン教育(MOOC)

アメリカは科学教育に熱心であり、最近はやりのMOOCでも豊富なコースが無料で受けることができます。有名なのはCoursera, Udacity, EdXがありますが、私はもっぱらCourseraのファンなのでCourseraのコースを紹介します。

1. Machine Learning by Andrew Ng

Courseraの創設者の一人Andrew NGが講師で、ビジュアル的に板書で説明してくれるので、計算の理屈がよく分かりました。Courseraのコースの中で最も授業が上手だと思います。最近、完全に日本語字幕もついたので、かなり受講しやすいです。

2. Johns Hopkins 大学のData Specialization

これは9つのData Science関連コースが合わさったものですが、中のRoger D. Pengのコースがお勧めです。Rの基礎やデータクレンジング等について丁寧に解説してくれます。しかし、Brian Caffoのコースは説明が下手なので、お勧めしません。

お勧めのコース

R Programming 統計プログラミング言語Rの初歩

Exploratory Data Analysis データ解析の予備的解析やデータ探索

Reproducible Research データ解析手順を再現可能にするための技術(ドキュメント化やパブリッシング)

Getting and Cleaning Data データ解析前のデータの整形や洗浄

3. Social Network by Lada Adamic

ソーシャルネットワークやネットワークグラフに興味のある人は取ってみたら良いとおもいます。

4. Mining Massive Datasets from Stanford大学

私はまだコースを受講していませんが、かなりきっちりとカリキュラムが組まれているようです。

授業内容は書籍が出版されているようで、PDF版は無料で見ることができます。良質の教材を惜しみなく無料提供するというStanford大学の太っ腹さには驚かされます。
http://www.mmds.org/

Khan Academy と CK-12

Courseraとは別に高校や大学教養学部レベルのものであれば、Khan AcademyとCK-12を覗いてみるのもよいでしょう。Courseraでは説明が不十分な基礎的な知識はこちらの二つのサイトの動画を見て学びました。

カーンアカデミー(Khan Academy)は講義の動画がYouTubeに載せてあります。

Khan Academyのprobability and statistics

CK-12はあまり有名ではありませんが、 高校レベルの講義資料や教科書を無料提供しており、高校レベルで教えてくれるのでとても助かります。

CK-12のFlexBookという教科書は、PDFやepubで読むことができ講義画像へのリンクもついています。

CK-12の統計コース一覧

CK-12の統計学初歩の教科書

CK-12には他のレベルの統計学の教科書もあります。

書籍

小島 寛之 完全独習 統計学入門 ダイヤモンド社

統計学の初歩として数式を多用せず、分かりやすいのでお勧めです。

涌井良幸 多変量解析がわかる 技術評論社

著者は高校の先生なので非常に丁寧に説明してくれるので、多変量解析のことがよく分かるようになります。

Foster Provost 戦略的データサイエンス入門

過学習等、実際にデータ解析を行う際のノウハウが収録されている。

Steven Bird 入門 自然言語処理

自然言語処理の入門書。Pythonでの自然言語処理方法を収録している。

勉強会

TokyoR

東京で開催されている統計プログラミング言語Rの勉強会です。

一人で勉強していると周りが見えなくなることもありますので、一緒に学ぶ人を見つけるのがよいでしょう。他にも多くの勉強会があるので、探してみましょう。

英語の教材が多くなってしまいました。統計学やデータサイエンスを学んでいくと、やはり欧米の科学教育に対する層の厚さをひしひしと感じます。英語という障壁はありますが、その障害を補っても余りある学習効果があると思いますので、是非英語の教材にも挑戦してみてください。

進化しすぎた子供たち

TEDトークのFor parents, happiness is a very high barを見て思った。

親たちは子育てに悩んでる。
本屋には沢山の子育て本がある。
どれを選んでよいか分からない。

かつて子育て本はスポック博士の育児書だけ。
スタートレックのミスタースポックじゃないよ。
今は本棚一杯の子育て本。
でもこんなに多いと親は子育てに迷ってしまう。

産業革命の時代には子供は働いていた。
働いた代償に親から住処と食事を与えられた。
親は子供とともに働いた。
親は子供と遊ぶことはなかった。

現代では児童労働は禁止された。
そこで子供の仕事は学校で学ぶことになった。
スポーツなどの野外活動も子供の仕事になった。
それに伴い親の仕事も増えた。
子供の宿題を見ることや野外活動での送り迎えも親の仕事になった。

いままで大人は親という役割はなかったのに、今は子供にかかわるという仕事が増えた。
以前は、一緒に働き、よき同僚として教えていればよかったのに。
子供は勉強し、スポーツし、遊ぶ。
子供という産業が発生したのだ。

子供という産業が発生したから親という役割が生じた。
だが、親というガイドブックは存在しない。
だから迷う。
分からないから自分の子供の頃を思い出し、それに従って子育てを行う。

昔はもっと厳しかったのに、
昔はもっと我慢してた。
子供はもっと我慢すべき。
大人たちはそう思う。

お父さんは思う。
俺が今苦しいのはきっと子供の頃、先生の言うことを聞かなかったからだ。
そこで子供にもっと厳しくする。

お母さんは思う。
私が今苦しいのは夫がだらしないからだ。
子供を夫のようにしてはいけない。
子供にもっと厳しくしなくては。

厳しくしても、子供は言うことを聞かない。
親たちを信用しない。
なぜなら親たちのやり方はかっこよくないからだ。
ダサいし、どうも心に響かない。

社会は変化する。
子供は社会の変化を敏感に感じ取る。
でも子供はそれを言葉でうまく表現できない。
感じることができるだけ。
論理的に説明なんてできない。

大人の時代にはネットもゲームもなかった。
今の子供にはそれが当たり前。
社会は変わったのだ。
でも、大人はそれを認めない。
だから昔のやり方で子供に対処しようとする。

子供は社会の変化の申し子だ。
本当は子供をもっと観察するべきだ。
子供の言葉や行動に意味を見つけるべき。
でも大人たちはいつも自分のやり方を子供に押し付ける。

子供か遅れているのではない。
大人が遅れているのだ。
大人が子供という社会の変化に適応できていないのだ。

大人にできるのは書店の本棚で良書を探すことではない。
目の前の子供を観察し、子供が何を要求しているのかを知ることだ。
子供の欲求はそれぞれの子供によって異なる。
だから個別の対応が必要だ。
一つのやり方でうまくはいかない。
モンスターの種類に応じて呪文を変えなくてはならない。

子供はみんな違っているのだから。
やり方も違えなくてはうまくいかない。

韓国ではデジタル教科書が義務化へ

 韓国では来春からデジタル教科書の使用が義務化されるそうだ。テレビ番組でもソフトバンクの孫社長が小中学校の教科書をデジタル化すれば、教育投資効果が高いと力説していた。韓国では既に義務化されようとしている。日本は、技術立国という過去の栄光にしがみついていて、ITの分野では経済発展が遅れていた隣国にも負けようとしている。韓国は九州ほどの面積しかなく、南北が分断されているのに、ITや経済の分野には力を入れている。

私の子供が通っている小学校は、日本の小学校の中でも文科省のIT賞を取ったほどIT化が進んでいる。しかし、この前小学校のPCを使うのを見学したが、PCの起動に5分かかるなど、メンテナンスは全くされていない。子供から聞いた話では、学校のパソコンにはつまらないお勉強ソフトばかりが入っていて、全く意欲が湧かないという。本当に日本の小学校は、IT化が遅れすぎている。

日本の小学校には期待ができないので、私たち家族は、RPGを作るソフトやシリアスゲーム(教育効果を狙ったシミュレーションゲーム)を購入したり、米国の優良教育ゲームサイトを探して、子供には幼児期からPCを触らせている。

関連記事

http://wiredvision.jp/blog/kogure2/201010/201010041230.html

イシューとは変革をもたらす本質的課題

安宅和人の「イシューからはじめよ」を読んだ。著者はマッキンゼーのコンサルタントや脳科学の研究者である。ビジネスと科学研究の両面から知識労働について関わってきた人だ。

私の理解では、彼が言うイシューとは、科学研究においてこのことが分かると科学全体が変化するような本質的課題のことだ。例えば、天動説に対する地動説や、ニュートン物理学に対する相対性理論のように今まで通説と考えらてきた理論を覆すコペルニクス的展開等を指す。つまり、パラダイムシフトを起こすような科学的革命のことだ。

ただ、一般人については相対性理論のようなだいそれた理論ではなく、何か常識を覆すようなものと考えたほうがいいだろう。ビジネスで言えば、新しい市場を開拓するという事かと思う。

私は多くの大学や研究所で科学研究?に関わってきたが、いつも分からないことが一つある。研究者が論文を書くためには誰も見つけていない何か新しいことを書かなくてはならないが、どうやってそれを見つけるのだろうかいつも不思議に思う。

私は大抵一人で考えているので、何か新しい研究テーマを見つけるのが難しいという経験をいつもしている。他の大学院生たちは教授の与えるテーマを受け入れ、さっさと論文を書いて、卒業していく。私はいつも何をやっていいのか分からず、迷うばかりだ。だが、なぜ、大学の教授たちは何かテーマを思いつくのだろうか。

論文のテーマはイシュー程レベルの高いものではないが、一応イシューの仲間なのだと思う。

自分では面白いテーマを面白いと思うセンスはあると思うが、自分でそれを発見することはほとんど出来なかった。一流の研究者が、プレゼンをすると面白いのは分かるが、なぜその人がその内容に気づいたのかがわからない。一流の研究者がそれを目の前に見せてくれば、それが素晴らしいことは分かるが、どうやってそこに到達したのかがわからないのだ。つまり科学の世界では見えてないのだ。私は科学に対しては出演者ではなく、観客なのだ。それは、スポーツはやらないけど、スポーツを見る人と同じだ。あくまでも観客なのだ。

あたり前のことだが、見えている人には見えているが、見えてない人には見えていない世界があるのだなあと思う。