多様性の時代

 巷では、漫画規制条例の議論がなされている。その中で性的描写の云々よりも子供たちに性教育を充実させようという考えもある。私もこの考えに賛成だ。

 この議論の本質は、個人(子供を含めて)が多くのモノや情報(コト)をどのように取捨選択し、選択する能力を身に付けさせるかということだ。

 20世紀は、産業革命から始まる大量生産・大量消費の時代であった。そこでは、国家や大企業という大組織が権威を揮っていて、個人個人の行き方も画一的だったと思う。理想的な労働者やサラリーマン(ホワイトカラー)のモデルが存在し、道は一つであった。サラリーマン(ホワイトカラー)が目指すのは、灯台を頂点とする学歴社会だった。生きる道は一本だけなので、区別するは上下の序列関係だけであり、国立と私立大学の違い、大企業と中小企業の違い、地方と都会などで細かな序列が決まっている。この序列関係は特に日本、韓国、中国で凄まじく、厳密に決定されている。その生き方の画一性の時代の中で、単一民族(実際は違うが)の日本はモノカルチャー的(単一文化で形成された社会)画一性を武器に成功したのも不思議ではない。

 時代は変わり、画一性のやり方がうまく機能しなくなってきた。しかしながら、東大を頂点とする学歴社会というかつての大きな道にいまだに多くの人々がしがみついているが現状だ。タイタニック号はもうすぐ沈むというのに!

 画一性の時代から多様性の時代に移行するのに必要なことは、個人がいかにモノ、コト、ヒトとの関係を有効に気づけるかということだ。最近、本屋で「断捨離」という片付けの本が人気なのも、モノとの関係が重視されてきている証拠だ。昔は、国家や大企業が与えてくれるものを黙って受け取っていれば、事足りた。しかし、現代は、自分自身を見つめ、自分に何が向いているのかを真剣に問い詰めなければ、生きていけない時代になってしまった。

 われわれが受けてきた教育とは、権威者が与えるものを従順に吸収することだった。自ら選択し、自らを知るという教育は受けてこなかったのだ。だから、自分で選ぶことを学んでいないのだから、いきなり、自分で選べと言われても困ってしまうのだ。この経済構造の変革期にわれわれ日本人は教育や成人のキャリアパス等どのように対処すべきなのか、熟慮する必要があると思う。

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