なぜタルコフスキーのストーカーが好きなのか

映画 タルコフスキーのストーカー

 なぜタルコフスキーの「ストーカー」がとても退屈で眠たくなる映画なのに、好きなのかを考えてみた。

3つのストーリーが同時進行

 「ストーカー」は、その中で三つのストーリーが進行していて、それを読み解くのがとても面白いからだ。まず第一のストーリーは、ストーカーという案内人が幸福の部屋と言われる場所を案内するというSF風の現代の物語である。第二のストーリーはキリスト(ストーカー)と二人の弟子たち(パウロとユダ)の物語である(キリスト教の専門家さん、解釈がおかしかったら、ごめんなさい)。第三のストーリーは、哲学や教訓の話になっているということだ。

宇宙人から見ると人間は虫けら同然

 第一のストーリーでは、人間を虫に喩えている。宇宙人が地球にやってきて、ピクニックをしていき、そのピクニックで撒き散らした御菓子やガソリンやお酒などが散在している場所がゾーンと呼ばれるのである。そのゾーンを何も知らない人間という虫が這いずり回っていて、ピクニックのゴミを甘いとかしょっぱいとか危険とか解釈しているだけなのである。宇宙人から見れば、ただのゴミだが、人間という虫から見ると、まったく理解できないゾーンなのである。

ストーカーは予言者キリスト

 第二のストーリーでは、ストーカーはキリストとして描かれている。遠藤周作のキリストの暗いイメージと同じく、ストーカーもいつも暗い顔をしている。キリストには不遇な時代があり、自分ではいいことをしているつもりなのに、周りからは馬鹿にされていた。それと同じようにストーカーも周りからは理解されていない人物なのである。教授(ユダ)はストーカー(キリスト)が大切にしている幸福の部屋(天国の門)を壊そうとした。これもユダがキリストを裏切り、教義を壊そうとしていたのを比ゆ的に表現しているのではないかと思う。

比喩としての人生哲学

 第三のストーリーでは、ストーカーたちの旅は人生に喩えられているのである。たとえば、先を進むために毎回ナットに紐をつけたものを投げて、危険がないかを確認しながら歩を進めている。これは、まるで人生とおなじく、目の前が真っ暗で手探りで進んでいるかのようだ。更に、教授がまっすぐの近道を進もうとすると危険が迫ってきて、戻らざるを得なくなる。その時にストーカーは回り道の方が近いのだと主張する。「急がば回れ」だ。

人生は後戻りできないが、落とし穴にはまることも

 しかも、荷物を忘れた教授が取りに帰りたいと主張すると、ストーカーはゾーンの中では後戻りは絶対にできないといって取りに戻ってはいけないといった。人生も同じく後戻りは出来ないのである。その後、教授はまるで過去の思い出(荷物)を取り戻そうとして、ストーカーの言うことを聞かずに戻ってしまう。ストーカーたちは教授がいなくなったのに気がつくが、あきらめてゾーンの中を進んでいく。ところが、突然、元の場所に戻ってきてしまい、教授もそこに居た。人生と同じく、ぐるぐると同じところを回っているというメタファーとなっている。

 とにかく、「ストーカー」という映画はすべてのシーンに何らかの比ゆ(メタファー)が隠されているので、それを読み解くのが非常に面白いのである。

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